登米市の塾長が語る感謝と使命 病気とともに歩む

登米市の塾長の記録感謝と使命 ― 病気とともに

塾を始めてから、数えきれないほど多くの生徒や保護者の方々と出会ってきました。

教室のドアを開ければ、そこには生徒の笑顔や真剣なまなざしがあり、その一つひとつが僕の力になっていました。

そんなあたりまえが、急に当たり前ではなくなりました。

脳腫瘍。

急にです。何の前触れもなく。

病気は突然やってきた。

まじかよ?なんで俺なんだよ?

フットサルの最中でした。
「ちょっと休憩しようかな」ただそれだけのつもりだったんです。

次の瞬間、体が突然痙攣。視界が一気にバーンアウト。
気づけば僕は救急車に運ばれ、そしてICUのベッドの上にいました。

「まじかよ?なんで俺なんだよ?」
頭の中はその言葉でいっぱいでした。

なんとか一命をとりとめたけれど

幸い、一命はとりとめました。
しかし、時間は無情に進みます。点滴や検査に追われ、体は思うように動かない。

特につらかったのは夜。
病室の天井を見上げながら、押し寄せてくる不安と向き合う時間でした。

「夜、眠ったら、、、本当に次の日の朝、目を覚ませるのだろうか?」
そんな思いが何度も頭をよぎり、胸を押しつぶすように苦しくなる。

眠りたいのに眠れない。
目を閉じるのが怖い。

寝たら俺、起きれるのか?

あのときほど“生きること”を意識した夜は、今までなかったと思います。

塾長としてもっとできることがあったんでは?

そのとき、ふと思ったのです。

「あれ、生徒にもっと伝えられることがあったんじゃないか?」

「保護者にもっと話さなければならないことがあったんじゃないか?」

「最高の従業員と共に登米市を変えるんだ!」と口にしたあの使命はどうなったんだ?

胸の中に押し寄せるのは“後悔の波”。

登米市の塾長は思い出します。あの言葉を。

ICUのベッドで思い出した言葉

ICUのベッドで天井をにらみながら、僕は思った。

「え?まさか俺の人生、ここでゲームオーバー?」

いやいや、こんな中途半端なところでエンディングなんて、絶対にイヤだ。
まだ生徒に伝えたいこともあるし、妻とケンカして仲直りする楽しみも残っている。
それに、まだまだ焼肉食べ放題に挑戦できてないじゃないか。

そんなとき、ふっと頭に浮かんだんです。

「我が人生に一片の悔いはなし」

名作北斗の拳のなかではなったラオウの最期の名言。
本気で死ぬかもしれない状況で、なぜか漫画のシーンが思い出されるあたり、僕もやっぱりオタク魂が抜けていないのかもしれない。

何度でも立ち上がる

正直に言うと、病気になってから何度も転びました。何度もです。起き上がれない日もありました。
体も心も、思うようにならない日ばかり。

心は何度も折れかけました。はっきり言って。

いつも強気に生徒に言っているのになんとも情けない。

そんなときふと、僕は思ったんです。

「何やってんだ、あいつ、転んでいるぞ」

「大丈夫かあいつ?」

って笑われたっていいじゃないか、そんなことは構わない。
歯をくいしばって、何度でも立ち上がってやる!そう決めました。

人生は一発勝負のゲームじゃない。
転んでHPゼロになっても、仲間がいて、生徒がいて、保護者が支えてくれて、、、立ち上がる方法はいくらでもある。

だからこそ、僕はやりたいこと、伝えたいこと、全部やり切る。
後悔なんて1ミリも残さない。そう心に誓いました。

そういえば僕の好きな名言を紹介させてください。

山本五十六の「男の修行」

山本五十六の言葉に、こんなものがあります。

苦しいこともあるだろう

いいたいこともあるだろう

不満のこともあるだろう

腹の立つこともあるだろう

泣きたいこともあるだろう

これらをじっとこらえていくのが男の修行である

僕にとっては“ロックブックゼミの塾長の修行”そのものです。

点滴をつけながら答案を採点したり、生徒に「頑張れ!」と声をかけた翌日に寝込んだり…生徒の志望理由書の添削をして体温計をはかると38,4°だったり。

それでも僕は頼りにしてくれることが本当にうれしかった。

何かを感じ取って変わろうとしている生徒がいることが本当に頼もしかった。

僕の姿を見て生徒が「先生すげぇな。自分ももっと頑張ろう」と言ってくれる言葉が本当にありがたかった。

この瞬間、病気さえも僕にとって“使命を果たすための舞台装置”に変わります。

登米市の塾の塾長としての僕の使命

僕の使命

僕には、ひとつだけ譲れない使命があります。

それは

「生徒の未来を守り、教育格差をなくし、登米市を変えること」。

少し大げさに聞こえるかもしれません。
でも、僕は本気でそう信じています。

勉強を通して育てたいもの

ただ点数を上げるだけが塾の役割じゃないと思う時があります。

勉強を通して「やればできる」という小さな自信を積み重ねる。
その自信がやがて、大人になって困難に立ち向かう力になる。

生徒が壁を越えるたび、僕は「この仕事をやっていてよかった」と心から思うんです。

保護者にとっての安心

そして、保護者の方々にも「この塾に子どもを預けてよかった」と思ってもらえるような塾を作っていきたい。
成績だけじゃなく、子どもの表情が変わり、前を向いて歩き出す姿を見てほしい。

まずは勉強ができるようになる以上に、心の成長を届けたい。
それが僕の信念です。

もちろん成績にも徹底的にこだわります!(^^)!

病気との闘いも“生きた授業”

ここまで書いてきましたが、やっぱり人生は思い通りにはいきません。
ある日突然、病気に倒れることもある。
そしてまた、立ち上がれない夜が訪れるかもしれない。

それでも僕は思うんです。

この、ぼろぼろなぼろ雑巾になりながらも立ち向かう塾長の生きざま。
それを見せることこそ、生徒にとっての“生きた授業”なんじゃないか、と。

「塾長は最後まで諦めなかった」

もしこの僕の行動が、ほんの少しでも生徒の心に残るなら、それで十分です。
もし困ったとき、将来どこかで彼ら、彼女らに少しでも勇気を与えられることができるなら。

こんな幸せな喜びはありません。

最後にあなたに伝えたい共:に立ち上がろう

僕は本当に恵まれていました。

本来なら塾長が長期で休むことにたいして叱責を受けてもおかしくなかったこの状況。

保護者の方々から届いたのは励ましと前向きな言葉でした。

「塾長が休んでいる間、うちの子は私がしっかり勉強させます」

「塾長無理せず、しっかり治して早く帰ってきてくださいね」

その温かさに、何度も胸を打たれました。

だから僕は何度でも立ち上がることができました。

転んでも、笑われても、また立ち上がる。

僕は最後の最後までやり抜きます。

そして必ず、「この塾に子どもを通わせて本当によかった」と思っていただけるように歩み続けます。

我が人生に一片の悔いはなし。の精神で今後も爆走します!(^^)!